撮影:三脚
16.08.21
【ひと夏の恋】
美術館を出て外にある時計に目を向けるも、まだ迎えの時間まで充分過ぎるほど時間が余っている。
今日はハズレだわ。
好みではない美術品にまで隈なく目を走らせる気にならず、足の方が忙しなかったらしい。
どこで時間を潰そうか、と視線を彷徨わせるも、すぐに緑の覆い茂る公園に引き寄せられる。
そういえば、何度もこの美術館へは訪れているのに、一度もあの公園には行ったことがないわ。
散歩するにも良さそうね、そう考えて公園へと向かった。
美術館からすぐに見えた公園は、歩いてみると入口は遠く、中に入ってみれば広大で人も多く賑やかだった。
今日はまたいつもにまして暑い日なんだと、今更ながら実感していた。

大人しく美術館で待っていれば良かったかしら…そう思いながら歩みを進めていたが、急にグラリと世界が歪み、私は方向感覚を失った。
血の気が引いて倒れかけている事に自分で気が付く前に、耳元で「おっと」と声が響き、お腹の辺り回された腕が私を支える。
向から歩いていた男性が、咄嗟に助けてくれたらしい。

至近距離にいる男性の気配と、貧血を起こすなどという恥ずかしい失態も手伝い、足りないはずの血が顔へと集中する。
「大丈夫です。有難う御座います。」
咄嗟に深々と頭を下げ、赤くなった顔を隠す。

そっと顔を上げると、男性はこちらの事など気にも留めず、さっさと歩き去っていた。
その後ろ姿をボンヤリと眺める。
当然のように手助けをし、恩着せがましい態度もなく、名も名乗らずに去っていく…
回された腕の逞しさを思い出し、惚れ惚れと呟いた。
「なんて素敵な方…」

***
また都合良く同じ公園で出会えるなど、保証はない。
それでも、なんだか予感めいた思いが胸から離れず、再度公園へ訪れた。
昨日歩いた道を辿るが、男性の姿は見えない。
当然だ。と思いながらも、ふと思い立って道を外れ歩くと…いた、あの方だ。

男性は木の下で寝ているようだ。
そっと近づいてみるが、起きる様子はない。
しばらくウロウロと周りを歩いていてみたが、相変わらず眠ったまま。
…昼寝をしているのなら、起こすのも可哀想だわ。
諦めて、メモにペンを走らせる。

昨日のお礼と、名前。少し迷って、電話番号まで書き込む。
連絡は来るだろうか。不安であるが、後は運に任せるしかない。
書いたメモを2つに折り、男性の懐へと滑り込ませた。

そうして立ち上がろうとした私の手が、当然引っ張られ驚いて振り向く。
「なんだ!あんたか!俺に何か用があるのか?」

男性も驚いたような顔だが、どこか楽しそうで、私は突然の事に驚き辿々しい説明をする。
昨日救けて貰ったお礼を言いながら、もしかしたら。と考える。彼は、寝たふりをしていたのかもしれない。
そう気付いたらなんだか可笑しくて、私は彼の事がますます気に入ってしまった。
「私、またあなたに会いたいわ。ここに来れば会えます?」
一瞬の間があった後、彼はいくつかの名前を上げる。
どうやら、この公園以外にも行きつけがあるらしい。
私は時間が出来ると、そのいくつかの場所を訪れては彼の姿を探した。
彼を見つけられれば、その日は邪魔にならないように横で本を読み、たまに話をする。
胸が弾む程楽しかった。
***
展示の変わった美術館を再び訪れた日。
迎えが来る前にまた公園を覗こうと、早足に館内を歩く。
出口に辿り付き、公園へと気持の急ぐ私の目を、1枚のパンフレットが引き止めた。
公園で彼を見つけて、私は先ほど貰ってきたばかりのパンフレットを広げる。
深い緑と鮮やかな色の花が印刷されたそれは、植物園について魅力的に紹介している。
行ったことがない場所へ、彼と出掛けられたらどんなに楽しいだろうか。
私は胸が弾む気持ちを抑えられないまま、彼と約束を取り付けた。
***
綺麗に手の施された植物達は皆、天に向かって枝葉を伸ばす。
その青々しい緑の下を、彼の手を引っ張りながら先へ先へと進む。

「次はどんな花が見られるかしら?」
花は綺麗で、木々も元気に育っているが、ここにあるのは制限された自由、私も同じ。
習い事に美術の鑑賞、読書とやる事は山のようで、決められた人生をなぞるだけ。
彼のように自由に生きられたら…いいえ、彼と一緒に生きられたら。
彼は、私を連れ去ってはくれないだろうか?
私は意を決して彼に打ち明けた。
親に決められた相手との結婚が待っていること。
それが正しい道なのか分からないこと。
親不孝な娘で呆れられないだろうかと不安を覚え、気付くと涙が溢れていた。

見苦しい、そう思った矢先、彼が腕を取り私を抱きしめる。
予想だにしない行動に驚いたものの、彼の優しさに触れたようで、胸が熱くなる。
腕を回したのも束の間、すっと彼が身を引いたかと思えば、至近距離で私の瞳を見つめる彼の瞳とぶつかった。
じわりと温かさの広がる胸が、突如大きく暴れ出す。
早鐘を打つ心音を感じながら、私はゆっくり目を閉じた。
頬を伝う涙が温かい。

***
あの日の後も、私達は変わらす日々を過ごしていた。
けれど私はジワジワとした焦りを感じていた。
それに向き合うのが怖くて、とにかく前に進む事を思い付く。
何気なさを装い、彼の家で気ままに過ごす。
この心休まる時間を「終わり」にすら彼の言葉に、今日は食い下がる。
たった一言を口にするのに、体中の血が顔へと集中したのでは、と思った。
「…帰りたくない。」
「いいのか?」
コクリと頷いた後のことは、夢を見ていたように、薄いベールに包まれ記憶が掴めない。
ただ胸の中で風船が膨らむように幸せで満たされていた。
ちょっとした鋭利なトゲ1つで、パチンと萎んでしまうとも知らずに。


***
夜が明けきる前に家へと滑りこんだものの、真っ暗であるはずの私の部屋は、灯りが1つ煌々と光っていた。
その光の中で、本を読んでいる姿があった。
「お父様…」
「少々、お遊びが過ぎたようだね」
本を静かに閉じて机の上に置くと、私の方に目を向けた。
「そろそろ、遊びの時間は終わりだ。」
それが何を意味するのかは、聞かずとも分かる。
言葉に詰まったものの、言わなかれば!といあ思いが私を突き動かす。
「ですが、お父様!私…!」
「あの男の事なら忘れなさい。」
好きな人がいるんです。そう続けようとした言葉を塞ぐかのように父が言葉を被せてかる。
思ってもみなかった言葉に、頭がクラリとした。
忘れる…?あの人を?
そもそもお父様は、知っていたというの…?
私の様子など気に留める事なくー、いや、想定の範囲内なのか、父は構わす言葉を続ける。
「お前は世間を知らない。そう育てたしな。だがそれは問題じゃない。その事を自覚していないのが問題なんだ。だから簡単に付け込まれる。
「つ、付け込まれてなど…」
「いないと、本当に言えるのかね?お前は、あの男の事をどれだけ知っている。職場は?女性関係は?今付き合いのある女性の事は?」
「な、何を言って…?」
「信じられないのも無理はない。明日、ここへ行ってみればいい。自分の目で確かめなさい。」
椅子から立ち上がると、折り畳んだ紙を私の手に握らせ、父は部屋を出て行った。
紙を見る気にもなれず、私は突っ立ったまま、今の今言われたばかりの言葉が頭の中で響くのを、黙って耐えていた。
すぐに日は登り、まだ暑さの残る日差しが、私のジメジメした気持ちを焼き尽くそうおする。
何も考えられず、昨日着ていた服のままだということにも構わす、私は家を出た。
父に渡された紙には、住所が記されているだけだったが、ここが彼の職場なのだろうとはなんとなく分かった。
人の多いロビーで、彼の姿を見つけた。
女性と一緒だ。何やら話し込んでいるのを見ながら、ゆっくりと近づく。
しかし次の瞬間、彼がその女性を抱き締めた。

目の前か、グラリと歪んだ気がした。
思わず、目を伏せて踵を返す。
後ろから呼ばれたような気もしたか、気にする余裕もない。
とにかくここ場から離れようとしたのだが、手を掴まれた。

感情が溢れ出すのが怖くて、私は手を払いのけ急いてその場を後にした。

***
路地へ路地へと向かい、ようやく人気が無くなったのを確認して、我慢する事も忘れて泣いた。
次から次へと涙が溢れる。
全てが流て無くなってしまえばいいのに。

***
次の日には、別荘を後にするため車の後部席へと座り、荷物が積込まれては揺れる車に身を委ねながら、窓の外に見える家を眺めていた。
嫁ぎ先の別荘はまた違う地にあると聞いたことがある。
もうここに戻る事はないだろう。
さよなら愛しい夏。
小さな箱に想い出を全部閉じ込めて、開かないように鍵をかけよう。
これからの日々の邪魔にならないように、そっと胸の奥へと仕舞うため、私はそっと目を閉じた。
【あとがき】
一昔前の報われない身分違いの恋でした。
彼方んが男性目線で小説を書いてくれているので、是非そちらサイドも御覧下さい!!
「夏の陽炎」 男性編
今回の創作は、彼方んと設定やストーリーを練りこんで撮影したこの作品、とっても楽しかった!!
多分あの女性はお父さんの差し金ですね…嫁いで貰わねば困る相手だったのでしょう。