【きっといつまでも君は知らない】
どうしてこうなったのだろう。
濡れた頬が乾き始め、肌がつっぱるのを感じながら、暗闇の中でぼんやりと思いを巡らせる。
父と、母と、そして幼い弟の為。私たちに出来る孝行をと、ここ吉原へとやってきた、それに迷いわなかった。
だけど…もしも、ここへさえ来なければ、妹は今も私の側で笑っていたのだろうか。
いや…ここへ来たことが悪いのではない。私がもっとしっかりしていれば、妹を止めることが出来たはずなのだ。
…せめて、私だけは意地でも生き抜いてやろう。
妹の無念を胸に、私は男になど飲まれるものか。
魅了し惚れさせ、吸い尽くしてやろう。
***
今日も艶やかな赤い着物を身にまとい、通りを一瞥する。
妹の形見なのだと言えば、何度この着物に袖を通そうと、文句を言う無粋な者はいなかった。
着物1つあしらえるために、倍に膨れ上がった借金を更に重ねるわけにはいかない。
それに、男の情に訴えるにも効果てき面で、私の人気も上々だった。
ふっと視線を感じ通りを見やると、呆けた顔した男と目があった。
新規のお客様のようだ。
少々若そうではあるが、身なりも悪くはない。
そっと煙管に手を伸ばし、一口含む。

煙管の胴をくるりと回し吸い口を外へと向け、赤い格子の間から煙管を伸ばし、ニコリと笑みを浮かべてやる。
男の喉元がゴクリと動いた。
煙管を受け取り口へと含むまで、ゆっくりと眺める。
交渉成立だ。
***
その後、男は常連となり、足繁く通うようになった。
「よかった、来てくれたのね。何度も一人寂しく夜を過ごしていたのよ。
こんな年増のところへは、もう来て下さらないのだと思っていたわ。」
男の待つ部屋へ入るなり、そう言いながら男の腕に自身の腕を絡め、体を寄せて甘える。
「年増だなんてとんでもない!私も早くあなたに会いたかった。ただお恥ずかしい限りだが、安い賃金で雇われております故…しかし、あなたに会えると思えばいくらでも頑張れます。」
優しく微笑まれ、胸がドキリと高鳴る。
(「羨ましいわ、顔の良い男が相手で」)そうこぼした仲間の声を思い出す。
顔だけ、ではない。
金で買っている女にどうしてそこまで、という程優しく、いちいち気遣ってくれる。
こちらが男を買っているのでは、という気さえしてくる。
確かにうっかり恋に落ちる女郎がいてもおかしくはない。
しかし私は…。
あえて妹の着物を着たままに、床へと男を誘い込む。

私は、裏切られるものか。
***
何度目かの夜を過ごし、次はいつ彼がくるのだろうと、ぼんやり考える日が増える。
会えば嬉しくなり、帰り際は名残惜しくて切ない。
それでも尚、これは恋ではないのだと自分に言い聞かせた。
そうであるはずが、ない。
***
「え?私の生い立ちですか?」
なぜそんなことを、と可笑しそうに男が笑う。
女郎の生い立ちを聞きたがる男はたくさんいるが、なるほど、逆に女郎が客の生い立ちを聞きたがるのは珍しいのかもしれない。
「あら、幸せそうな人生ですもの。聞いてみたいと思うのは当然でしょう?」

ピタリと彼に寄り添いながら見つめると、男は困ったように眉を下げる。
「それでしたら、聞いても幸せとはいきませんよ?なぜなら…」
私には姉が2人いました。
しかし自分の記憶にある頃には、既に姉たちはおりませんでしたし、実質一人っ子のようなものでしょう。
そう考えれば確かに両親に甘やかされたかもしれません。
跡取りという事で厳しくもされましたが…。
姉ですか?そうですね、親孝行ものだとは聞かされているのですが…あぁそうだ。
確か姉達は私の事をこう呼んでいました…
男が言う、姉のつけたあだ名には、覚えがあった。
この男は…彼は…私の、弟だったのか。
明日は早いので申し訳ないと頭を下げる男に、それでもドップリと暗かった群青色がかすみ白さを取り戻す空の下、彼を見送る。
一人となった部屋へと戻り、しばらくぼんやりと膝を抱えた。

…姉弟、であるとはいえ、それが何だ。
恋仲でもあるまい、喪失感を覚える事など、何も…

胸の痛みをやり過ごし、そっと立ち上がる。
私は、何としても生き延びねば。
部屋を出て、遣り手の元へと静かに向かった。
【あとがき】
弟からお金を絞り上げるわけにもいかないし、遣り手に話して適当な理由をつけて弟は出禁となるのであった。
…という設定を男役有りでスタジオでやる予定が叶わず…。
図書館で資料を読んで勉強した限り、戦争前は性に対しても大らかだったよう。(処女であれという考えも特になかった)
花魁の世界も整備がしっかりしていて、人さらいで売られる事もなく、衣食住の整った世界に親孝行のために進んでいく娘も多かった。(ように読めた)
働く女性の年齢制限や、警察と連携して書類の提出義務があったらしい。勿論それが守られていたとは思わないが。
ちなみに妹は惚れた客と駆け落ち予定が、男は現れず絶望したまま自殺したという設定です。
タイトルは大好きなお題サイトさんから頂きました。
by「たとえば僕が」
撮影:16.01.14